死ぬ気でやれば何でもできる
アメリカを影で操るのは、アメリカのマネーを握っているユダヤ人と言われています。
彼らは商売がうますぎるが故に世界各地で迫害を受けてきたのですが、この商売上手の根っこは彼らが信仰するユダヤ教にあります。
ユダヤ教には週に一回、安息日というものがありまして、この日は一切の労働をしてはいけないのです。労働ばかりか家事もできません。家で火を使うことも許されないのです。
テレビも見れません。
文字を読んでもいけません。目に労働を課すことになるからです。
敬虔な信者は暗い部屋にいて、物思いにふけるそうです。電気も使ってはいけないからです。
ユダヤ教の安息日は擬似的な死を体験するものと言われています。
つまり週に一度は死を体験し、そこから生かされた自分は次の一週間何をしようかと考え、そして生を得た喜びを具体的な行動に移すわけです。
汝死を想え メメントモリ
という言葉がありますが、死を想うことで人間は強くなります。与えられた生を無駄にすることなく1秒1秒を真剣に生きます。
これがユダヤ人の強さなんです。
ユダヤ人は世界中で迫害を受け、今は生きてるけど、次の瞬間はどうなっているか分からない境遇で生きてきました。
対して今の日本はどうでしょうか?
老後が心配だ、リストラが心配だ
なんて贅沢な悩みなんでしょうか(笑)
何十年も生きるという前提でその先を心配しているのです。
私は汝死を想えという言葉が大好きです。
死を想うことで、生を実感し、一生懸命生きることができると考えるからです。
村上春樹も
死は生の対極にあるのではなく、内包されているものだ
と言っています。
私も年に一回、死を想う時がおります。
それは人間ドックです。
人間ドックの前の日から、明日お前は大きな病が見つかり余命宣告をされる
それでも受け入れることができる人生を送っているのか?
ということを自問自答しています。
そこでまだ死なないと想う時は、何かが足りないのです。
昨日の私は、もうそうなってもいいや、という心境でした。
話はズレますが、初めて大腸内視鏡検査を受けましたが、あんなに大変だとは思いませんでした。2リットルの下剤を飲むって。、。
ということで、必ず人間ドックは受けましょう。というお話といつ死んでもいいような生き方、準備をしていますか?していなければ今日からでも始めましょう。というお話でした。